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第32回 知ってもらうことで、復興を描く ─糸魚川大火から2年─

知ってもらうことで、復興を描く ─糸魚川大火から2年─

2016年12月22日。その日、最大瞬間風速24.2メートルを記録した糸魚川市を大火が襲った。立ち入り規制解除後、紅久の六代目店主、安田貴志さんは気持ちを奮い立たせ「山のほまれ」を焼き続けた。営業を再開したのは大晦日。懐かしい味を求めて来店する帰省者を迎えた。逆境のさなかに届いた心配や励ましの声に、今も後押しされている。

profile

安田 貴志さん
御菓子司 紅久(べにきゅう) 代表(新潟県糸魚川市)

糸魚川銘菓「山のほまれ」の製造元、紅久の六代目。大学入学を機に上京し、一般企業勤務、都内の有名和菓子メーカーでの修行を経て30歳で帰郷。2016年12月に発生した糸魚川市駅北大火で自宅兼事務所を焼失。被災後、糸魚川を知ってもらうための情報発信を企図してクラウドファンディングに挑戦。

「御菓子司 紅久(べにきゅう)」加盟店情報
https://www.shinkuminet.com/shopguide/shopinfo_area.html?id=1006894
安田 貴志さん

猛火に包まれる自宅を、テレビ報道で

猛火に包まれる自宅を、テレビ報道で

鎮火までの30時間に40,000平方メートルを焼失した、2016年12月の糸魚川市駅北大火。焼損棟数は147棟。市消防本部の集計によると、家屋や家財を資産価値換算した被害総額は10億7724万円にのぼるという。

創業1825年の老舗菓子店、紅久6代目の安田貴志さんも被災者の一人。自宅兼事務所として使っていた築29年の旧店舗は、火元の飲食店から100メートルの距離。

「最初はなにか騒がしいなぐらいだったのですが、そのうち火の粉が飛んできたのでこれはマズイと。建物を守らなきゃと、屋上に上がって水を撒いたりしてみたのですがダメでした」
「店舗も立ち入り禁止になったそうですが、避難時はどちらで過ごされたのですか?」
「妻の実家にいました」
「22日に出火し、立ち入り規制が解除されたのは2日後の24日。まず店舗を見にいかれたそうですね?」
「ええ。自宅が焼けてるのはもう聞いていたし、テレビのニュースでも燃えてるのを見て諦めていましたから」
「テレビで‥‥そうだったんですね。避難中、眠れなかったんじゃないですか」
「いえ、しっかり寝てました。だって、どうしようもできませんから」

自宅からほど近い店舗兼工場の無事を確認してから向かった自宅は、外から見ると真っ黒焦げ。室内は水浸しのドロドロ状態。周辺への延焼を食い止めようと、3階建て鉄骨造の安田さん宅には大量放水がなされていたのだ。

「大事なものは持ち出せたのでしょうか?」
「避難するときに仕事関係のものだけは。自分個人のものは何ひとつ持ち出せませんでしたが、店と自宅を分けていたのは本当に不幸中の幸いでした」

自宅の惨状にはさすがに胸がつぶれたが、落ち込んでいる暇は無かった。

「まずは年末年始の注文分の製造、次に店舗の営業再開に向けての製造。変な話ですが、やるべき仕事がありすぎて気持ちは救われました」

自宅兼事務所として使っていた旧店舗から焼け落ちた看板。
自宅兼事務所として使っていた旧店舗から焼け落ちた看板。
火災を免れた店舗兼工場。店舗と自宅を分けていたことが結果的にリスク分散となった。
火災を免れた店舗兼工場。店舗と自宅を分けていたことが結果的にリスク分散となった。
原材料は、小麦粉、鶏卵、砂糖、バター、生クリームなど。発売当時はしっとりした焼き菓子だったが、今の「山のほまれ」はさっくり軽い食感。
原材料は、小麦粉、鶏卵、砂糖、バター、生クリームなど。発売当時はしっとりした焼き菓子だったが、今の「山のほまれ」はさっくり軽い食感。
「山のほまれ」は1日3,000枚(1,000袋)を製造。かつては一枚一枚、焼き型で手焼きされていた。
「山のほまれ」は1日3,000枚(1,000袋)を製造。かつては一枚一枚、焼き型で手焼きされていた。

昭和の大火からの再起とともに誕生した「山のほまれ」

昭和の大火からの再起とともに誕生した「山のほまれ」

紅久の看板商品は、80年余りの歴史を持つ糸魚川銘菓「山のほまれ」。

「『山のほまれ』はどんなお菓子ですか?」
「瓦煎餅に類するお菓子ですが、原材料がカステラと同じなので『カステーラ煎餅』として三代目の時代に生まれました。三代目と幼馴染だった詩人の相馬御風*が商品名のネーミングをし、地元の小学校の校長先生が絵柄を手がけ、カステラが珍しかった時代にこういうお菓子を作り上げたそうです」
「発売は昭和9年。1934年ですが、その2年前にも糸魚川大火がありました。このときの被害は?」
「店舗兼住宅が焼けました。従業員が住み込んでいた時代ですから、みんなまとめて焼け出されたと聞いています」

この大火のあと、焼け跡に建てられた長屋に被災者の多くが入居した。同じ境遇にある者同士の助け合いが自然と生まれ、気のおけない寄り合い所帯のような空気の中で復興が進んでいったのだろうと安田さんは言う。そんな糸魚川の人々が口にした「山のほまれ」。「もうひと頑張り」とその素朴な甘みを味わったのではないだろうか。

こうした誕生背景を持つ「山のほまれ」は、観光客向けのお土産としてはもちろんだが、糸魚川市民には幼い頃から食べているローカルフードとして愛されている。地元を離れて暮らす人にも、帰郷のたびに紅久に足を運ぶファンは多い。

「お笑い芸人の横澤夏子さんも『箱買いする』と女性誌で紹介してくれました。糸魚川出身なんです、横澤さん。ありがたいです」

*相馬御風(そうま ぎょふう、1883-1950):早稲田大学校歌「都の西北」や童謡「春よ来い」の作者として知られる糸魚川出身の詩人・歌人・評論家。

「こまくさ」など、信越地方の風土が描かれた絵柄は4種類
「こまくさ」など、信越地方の風土が描かれた絵柄は4種類
北アルプスの山肌に自生する「真柏」
北アルプスの山肌に自生する「真柏」
日本海の朝日を描いた「ごらい光」
日本海の朝日を描いた「ごらい光」
白馬山を描いた「山のほまれ」
白馬山を描いた「山のほまれ」

知ってもらう努力で、心配や支援に応えていく

知ってもらう努力で、心配や支援に応えていく

「帰郷時にまとめ買いした糸魚川出身者がいろんな土地で『地元銘菓です』と言って配ってくれるので、遠方からも『買えますか』と問い合わせがあります。これまでも地方発送のご要望には個々に対応していましたが、昨年ホームページに注文方法を掲載してからご利用いただきやすくなっています」
「大火からちょうど1年後にホームページをリニューアルされたんですよね」
「ええ。以前からずっと頭の中にはあったのですが、つい後回しになっていたんです。大火のあと、糸魚川を知ってもらうことから始まる復興があるのではという思いが強くなり、クラウドファンディングの『MOTTAINAIもっと』で募った支援金でリニューアルを実現しました」
「リニューアルしてみていかがでしたか?」
「やっぱり電話越しに言葉でお菓子の説明をするのは限界があったなと(笑)。今はサイトを見てもらえば一目瞭然です」

さらに、「記録」としての意味も大きいと安田さんは続ける。

「今回のリニューアルで、御風先生直筆の詩や、昭和の大火の被害マップなどもサイトに掲載しました。紅久は2025年に創業200年、2034年には『山のほまれ』誕生100年を迎えます。資料的価値があるものも残っていますが、大火を経験したことで現物はいつ燃えてしまうか分からないと痛感しました。ネット上なら燃えませんからね(笑)」

昔ながらの風情漂う雁木作りの街並みが火にのまれ、老舗の多いエリアにも延焼が及んだ糸魚川市駅北大火。紅久には、「山のほまれ」がもう食べられなくなるのではと心配する声がたくさん届けられた。あの大火から2年。知ろうとしてくれる人の気持ちに応えて情報発信していくことが、復興には不可欠だと安田さんは語ってくれた。

紅久は1932年の大火でも店舗を焼失。その2年後、「山のほまれ」を発売。新店舗もこの年に竣工。
紅久は1932年の大火でも店舗を焼失。その2年後、「山のほまれ」を発売。新店舗もこの年に竣工。
「山のほまれ」のネーミング考案者、詩人の相馬御風から「紅久新菓に題す」として贈られた直筆の詩。
「山のほまれ」のネーミング考案者、詩人の相馬御風から「紅久新菓に題す」として贈られた直筆の詩。
1932年の大火の記録資料。糸魚川は昭和・平成を通じて4度の大火に見舞われている。
1932年の大火の記録資料。糸魚川は昭和・平成を通じて4度の大火に見舞われている。
全焼した自宅兼事務所が店舗だった頃の様子。
焼失した自宅兼事務所が店舗だった頃の様子。

プレミアム会員限定PRESENT

山のほまれ8袋箱入(3枚入×8袋・24枚)
10名様

応募締切
2018年12月31日(月)

賞品

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糸魚川銘菓「山のほまれ」ほか和菓子・菓子の製造販売
御菓子司 紅久(べにきゅう)(新潟県糸魚川市)

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